カテゴリー「千華@本のハナシ」の3件の記事

2007年10月 9日 (火)

「あたりまえ」について

今日は本に縁がある日なのでしょうか。

おもしろそうな本発見。
時間があれば読みたいデス。

「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス
好井 裕明 (著)
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「あたりまえ」ッテ決めつけず、立ち止まって考えるコトは、
社会学に限らず、何をするにも重要なコトなんじゃないかッテ思う。

だって、その「あたりまえ」を「あたりまえ」たらしめるのは、
今までそのヒトが生きてきた中で培った価値観や文化がカンケーしているわけで
その何かがちょっと違うダケで、
まったく反対のコトを「あたりまえ」だって思っていた可能性だってあるじゃないデスか?

他のヒトには「あたりまえ」のコトでも、そのヒトの人生の中で
その事象が登場してこなかったのであれば
それは「あたりまえ」にはなりえず、見知らぬ何かでしかない。

大抵の場合、「あたりまえ」が通じない相手に対し
常識知らずだとか、あたまが悪いなどと、私たちは思いがちだ。

例えばエスカレーター。
早く上るヒトのために片側をあけるのがルールになっているが
(ソースないケド、業者的には危ないから歩かないで2列に整列して乗ってほしいらしい)
関西と関東では、どちらをあけるかで位置が異なっている。

コレってゆーのは、知っているヒトにとっては「あたりまえ」のコトだけど
知らないヒトにとっては「なんで?」ッテゆーハナシになる。

ここで「だから田舎者はダメなんだよ」とか「常識がなってない」とかゆーヒトは、
あまり社会学向きのヒトではないんじゃないかと思う。
(別にまじ社会学専攻者でないので、あくまで弱めに発言w)

むしろ、その人が今までどう生きてきたから
エスカレーターのルールを知らないでいて、「なんで?」と思ったりするんだろう
ッテ考えられるヒトのほうが、向いてる学問なんだと思う。

大体、ルールなんて人間がいつかどこかで勝手に作ったもので、
世の中に「あたりまえ」なんて言いきれるコトなんて、ないと思うよ。

神様はいると思いますか?
あたりまえです。
いいえちがいます。

別にどちらの回答であっても、どちらでなくとも構わないと思う。
しかし、なぜ自分はそういう風に思っているのかを明らかにするコトは
大切なコトだと思う。

その経緯を知るコトで、自分ッテゆー存在が、客観的に感じられるんじゃないかと思う。
そして自分を知るコトは、他人を知るコトに繋がる。

「あたりまえ」ッテ言いきるコトは、自分を相手に押し付けてるッテコト。
そこには他者の考えを受容する受け皿がない。

そういった否定から、バラエティーに富んだ人間関係は生まれない。
おもしろい考えもわくわくするような発見にも出会えない。
自分の枠の中で、生きているダケなんだから。

たらたら書いてしまったケド、まぁ要するに
本読んでみたいな、ッテ、それダケなんデスww

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本のハナシ

“本読み”というのは、ドコの大学のドコのゼミでもやるコトだと思う。

最近の若い人は本を読まない、というのを鵜呑みにしてはいけないよ〜と、
『街場の現代思想』で内田樹サンがおっしゃっていた。

なんでも、一昔前の文学青年および少女と本のカンケーというのは
「知的な高校生と思われるための必読書」と社会的に黙されているものを
ひとつひとつ読み込んでいくという、義務的読書といった感じ。
一方、最近の若い人は読書をするにはしているが、
自分の興味がある分野をトコトン読み尽くすというのが主流で、
文学に対するあまねく知識にはつながらないが
昔の文学青年たちが読まなかったところまで、読みこむ傾向があるらしい。

これはどちらがいいとかそういう議論ではなく、
現代の文学青年たちは、自分が知っていることと知らないことをきちんと認識する
つまり「自分の知識に対する知識」をもつことが大切だよ、という内容であった。

〜*〜*〜*〜*〜

はっきりいって、千華はどっちでもないデスw

小さいときから「読書」という習慣がありませんデシタ。
親は上記のような典型的文学青年タイプだったようデスが、
千華はそのようなスタイルを強いられず、マンガばかり読んでいマシタ。

むしろ小学生の頃なんか、本を読んでるヒトはガリ勉なんだ!
というようなイメージすらもってマシタ。
今思えば、あんぽんたんだったなぁ〜と思いマス。

昔から読書の癖があれば、読むスピードも早かっただろうし、
「本」の内容で会話が出来るという、大人な技が習得できていたカモしれないのに・・・w
まぁコレは冗談として、
世の中にはたくさんの本があって、本は自分の知らない世界をひらくきっかけにもなるわけダカラ
自分のためにもいろいろと読んでいきたいな〜と、思いマス。    

〜*〜*〜*〜

で、ゼミで毎月1冊課題読書ッテゆーのがあるんデスね。
せっかく頑張って書いたのに、先生に見られておしまいッテゆーのも
なんか切ないので、
一緒にのっけてみようかと思いマス。

今回は、沢木耕太郎サンの『紙のライオン 路上の視野Ⅰ』ッテゆうのを読みマシタ。
「真実」ッテ難しいデスよね。
哲学的な事象で考え始めると、キリがないハナシだと思いマス。

「9.pdf」をダウンロード

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2007年4月10日 (火)

夜思考

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以前トモダチが、
「今ミルの『自由論』を読んでるよ」ッテ言ってて、
彼女はホントによく本を読むので、
千華も見習わなきゃいけない!と思ったのデス。

“満足した豚であるより、不満足な人間である方がよく、
 満足した愚か者であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい”

この授業中、満足した豚の姿を考えてイラストにしていました。

その後、ニーチェを読もうか?と思ったものの
(たまたま目の前に『悲劇の誕生』があったカラ)
結局、ずっと前カラ読みたかった
デュルケムの『自殺論』を読もうと思って借りたのデス。

序章で挫折しマシタ。

テストも近かったというのもありマスが、
電車の中で細切れで読むような代物ではとてもありません。
在学中には、意味が分かるまでちゃんと読みたいナァとは、思っていマス。

~*~*~*~

それ以外で最近読んだものといえば、

ウェブ進化論 / 梅田 望夫」、「無思想の発見 / 養老 孟司」、
街場の現代思想 / 内田樹

などなどデシタ。

小説では「キッチン / 吉本ばなな」なんかをいまさら読みマシタ。
次は「砂の女 / 阿部公房」を読もうと思っていマス。

これから大学の授業が減るので、色々本を読めたらいいナァと思いマス。
大学3年生の一年間を、有効に使っていきたいナァと、思うのデス。

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